私たち人類は今日まで、ときに自然の豊かな恩恵にあずかり、ときに自然と対峙し、歴史を刻み続けて紀元2,000年の時代を迎えました。私たちは、より速く、より大きく、より大量にと効率を優先して歩みを進めてきました。このようなライフスタイルは、周囲の身近な自然環境にダメージを与え、今や温暖化など地球規模の環境問題を招いています。
私たちはどこに向かっているのでしょうか。
これまでのように、目の前の事象にとらわれて人類がその寿命として与えられた非常に短い時間の中で判断することは、もう止めるときではないでしょうか。1000年という単位で時間が流れる森の視点から物事をとらえ、本質にきちんと向き合うべき時ではないでしょうか。
自然と真に共生していくためには、森という自然の営みの側面から物事を考えることが、その一歩を踏み出すことにつながります。
十勝千年の森は、環境貢献活動「カーボン・ オフセット(炭素の相殺)」を起源に、森、庭、 農、アート、食と、さまざまな手段をもって、人が自然と触れ合える機会を創出しています。
1,000年後の未来へ遺し、引き継ぐ大切な財産として、この森を育てています。
十勝千年の森創設者
十勝毎日新聞社 顧問
林 光繁
「新聞は大量の紙を使う。環境破壊を毎日繰り返している仕事だ。植樹をして、森を造っていけば、カーボン(二酸化炭素)をオフセット(相殺)できる」-という志を立てたのは1987年ごろだった。
王子製紙林木育種研究所に紙と木のカーボン含有量を問い合わせた。「紙は約46%、トド松で約47%」-という回答だった。当社の発行部数で計算すると、約800haの森を造成すると、オフセットできる-と判断した。
1991年から3年かけ、清水町御影地区に約500haの土地を買った。日高山脈の主峰のひとつ、芽室岳、久山岳、剣岳を望み、水も豊富な、まさに「山紫水明」の地であった。かつて、国連大学構想の適地として北海道開発庁がリストアップしたほどの場でもあった。
2mにも及ぶ熊笹が生い茂り、人を寄せ付けない場所だったが、川のせせらぎの音には感動した。ミズナラ、ヤチダモ、赤エゾ松などの木は伸び伸びと育っていた。
熊笹を刈ると、自然に残っていた種が着床し、色々な野草が一斉に花咲き、白、黄、青-色とりどりの美しさを見せてくれた。
森林施業は予想以上の資金が必要だった。新聞社の負担軽減を考えている時、以前イギリス旅行で見たコッツウォルズ地方のガーデンを思い出した。文化度が高く、人々の癒やしにもなるガーデンは、最適と思えた。
飲み友達でもあった高野ランドスケープの高野文彰さんに相談、出来上がったのが「十勝千年の森」構想だった。高野さんの紹介で英国のガーデン設計家ダン・ピアソンさんを知り、仲間に入ってもらった。
ダンは「こんなにスケールの大きい、景勝地で、思想、哲学のしっかりしたガーデンの設計に携われるのはうれしい」と、森を歩きながら私がお礼を言う前に、逆にお礼の言葉を口にした。ダンを心から信頼した瞬間だった。
そして「世界で最も美しい庭」と、英国ガーデン設計コンテストで評価された千年の森の庭は誕生した。